『社説:匿名発表 見識を疑います、猪口さん』(毎日新聞)

猪口邦子内閣府特命担当相

民主主義を守る政治学者だと思っていたのに、猪口邦子内閣府特命担当相は変節したのだろうか。犯罪などの被害者を実名で発表するか匿名にするかを警察が判断する方針を盛り込んだ「犯罪被害者等基本計画」の政府案について、「(被害者の判断に)公権力が介入する余地はない」と述べたからだ。
 日本新聞協会や有識者らの批判や不信に応えたつもりだろうが、警察や事件報道の実態をわきまえての発言とは思えない。政府案では事件、事故の発生さえも不確かになり、メディアの公権力監視機能は著しく損なわれる。ひいては民主主義の自殺行為となる。政府は計画案を年内にも閣議決定する方針だが、問題の項目を削除しなければ認めるわけにいかない。
 事件、事故を取材する記者らは警察がつかんだ住所、氏名などの基礎的な事実を元に、加害者、被害者双方から情報を集めて報道している。再発防止を目指してのことで、捜査が適正かどうかをチェックするためでもある。従来のメディアのあり方に行き過ぎがあった面は否めず、メディアに反省すべき点は少なくないが、だからといってメディアが担ってきた実名か匿名かの判断を警察に委ねるのは危険極まる考え方だ。
 猪口氏は「被害者が希望すれば実名で発表する」というが、これも現実離れしている。匿名が原則になれば、実名を希望すること自体にエネルギーを要し、いきおい希望する人は減る。しかも被害者や家族は通常、警察の監視、保護下に置かれるから、冷静に判断できるかどうか疑わしく、記者らが真意を確認するのも難しい。警察は、不都合なケースほどメディアの取材をわずらわしがるものだ。過去に事件の隠ぺいやねつ造があったことも、公知の事実ではないか。万一弾圧的な捜査が行われても、匿名にされてはメディアが人権侵害を暴くことも困難になる。
 民主主義を守るため、警察権力には人権にかかわる裁量を認めないことが賢明だ。裁量があるから不正が生じ、外部からの圧力が入り込む余地も生まれる。政治家らに交通違反のもみ消しなどで無理を強いられてきた経緯もあり、良識ある警察官は警察による実名、匿名の判断にためらいを感じていることも事実だ。警察に判断を委ねてだれが一番得をするか、も考えてみなければなるまい。
 多くの事件、事故は、裁判段階では被害者の実名も明かされる。捜査段階で伏せれば、インターネットなどで実名の暴露を目的とした怪情報が飛び交って、かえって当事者を困惑させかねない。
 真の被害者救済は、痛みと苦しみを共に生きる人々で分け合うことから始まる。まず、報道を通じて、皆で事実を把握しなければならない。取材や報道から生まれるプライバシーなどの問題は、メディアの良心と健全なメディアを支持する市民の良識で解決すべき課題だ。メディアが監視対象とする警察に判断させるのは、主客転倒もはなはだしい。そうではありませんか? 猪口さん。

ひとくちにメディアといっても、毎日新聞のような大新聞社もあれば、特定の政治団体の機関紙や、商業主義丸出しの三流紙もあります。
警察権力に対しては、監視が必要であるということに対して反論するつもりはありませんが、メディアに対しても監視していく必要があると、多くの国民は感じているのではないでしょうか。
メディア・スクラムと評される過剰取材や、本当に被害者の人権に配慮した内容なのか?と問い質したくなるような加熱報道が、これまでに何度も行われて来たのも事実でしょう。
上の記事でも、「裁量があるから不正が生じ、外部からの圧力が入り込む余地も生まれる」とありますが、それはそのままメディアにも当てはまることでしょう。
メディアが、公権力に対する監視者であるというのであれば、自らに対する中立で公正な監視者も置くべきでしょうし、その批判に対してどのような形で応えて行くのかを明らかにするべきでしょう。
「健全なメディアを支持する市民の良識で解決すべき」などと、聞こえの良いことは言えても、実際にスポンサーや政治家などの権力者からの外圧に屈することなく、良識ある市民に向けた公正な報道を行うためには、それなりの監視者としくみが必要ではないでしょうか。
それは、毎日新聞が公権力に対して主張していることと同じであると思いますし、民主主義を守ることだとも思うのですが。
実名か匿名かの判断を、これまで通りメディア側に任せるべきだとするならばもなおさらのことです。
メディアに裁量与えろと言う以上、メディアは厳しい目でチェックされる必要があるということです。
毎日新聞も、「メディアの良心と健全なメディアを支持する市民の良識で解決すべき課題だ」などと、ヌルイことを言っているだけなら、「見識を疑います、猪口さん」なんて他人を揶揄できる立場ではないと思うのですが・・・。