チップについてのニュース
『妊娠中のウェイトレスが12万円のチップをもらう』(ABC(アメリカン・バカコメディ)振興会さん)
米国バージニア州のレストランで働く女性が、26ドル(3000円)のお勘定にチップを1000ドル(12万円)も受け取った。
大きなご褒美をもらったウェイトレスのアマンダさんは19歳で今年5月に出産を控えている。
最初に1000ドルのチップをもらったとき、アマンダさんはジョークだと思ったと言うが、銀行に行って確認したところ、謎のお客さんが置いていった紙幣は本物だと判明した。
アマンダさんは思わぬチップにもちろん喜んでいて、出産に役立てたいと話しているという。
日本には、チップを渡すという習慣が基本的にないので、私自身、チップについてあまりよく知らないのですが、何らかのサービスに対して払う、料金とは別の「心づけ」のようなものだと思うのですが、上の記事の「1000ドル(12万円)」という金額は、純粋に「チップ」といえるのか気になりました。
本人が喜んでいるのなら、とやかく言うべき話でもないとは思うのですが、彼女が行ったサービスに対するお礼の範囲を超えるような「チップ」は、もはやある種の「施し」なのでは?と思ってしまいます。
ただ、19歳という彼女の年齢や、彼女が働く職場環境、そして彼女自身の人となり、さらには、チップを渡した人の動機についても、考えるべきものだとは思います。
現実問題として、私たちの社会にはかなり大きな経済的格差が存在しています。
金銭的に余裕のある人が、善意から資金的な援助を行うことは、世の中の矛盾を是正する手段のひとつとして、価値のあることなのでしょう。
しかし、そのことと、労働に対する正当な報酬が切り離されずに「チップ」として行われることは、「働く」という行為に対する冒涜であるように思います。(かなり大げさな表現ですが)
上にも書きましたが、私はチップを受け取った彼女が喜んでいるのなら、今回のケースはあえて問題にすべきものではないとも思います。
それは、彼女がその「チップ」を「出産に役立てる」ことで、有益な使われ方をし、肯定的なものとなると信じるからです。
しかし、もし仮に、そのチップが遊興費に消えてしまったり、さらには、彼女が今後もらうであろう「チップ」に対して、金額の多少に不満をいだくことになるようなことが万一あれば、救われる部分はなくなるようにも思います。
日本以外の国で習慣的に続いているチップというものは、あまりなじみのない日本人にとっては、とても難しいものです。
そして、日本にはない制度だからといって、批判するつもりはありませんし、「チップ」という制度には良い面もあると思います。(サービス業は基本的に顧客に満足を与える仕事だと思いますので、その顧客から生の評価を下された上で受け取る「チップ」という報酬は、そのサービスへの報酬としてかなり合理的なものだと私は思います)
まあ、何を言いたいのかよく分からない文章になってしまいましたが、要するに「正当な報酬」と「施し」は分けて考えてほしいと、そうでないと、それでなくても難しい「チップ」という制度が、余計分からなくなると、いうこと・・・・か?(ああ、混乱してきた・・・)
チップについての参考サイト:『チップの常識』(地球の歩き方)
あぁ、難しい・・・。