映画「ホテル・ルワンダ」と町山智浩氏を巡る論争

ホテル・ルワンダ」を観たブロガーの記事をきっかけに始まった論争は、あちこちで議論が盛り上がっていますが、町山氏がパンフレットに書いた文章の最後の一行が、議論の中心になっているようです。
(議論の大まかな流れは、『finalvent氏を支持する(1)------ホテル・ルワンダを巡るカオスについて』(BigBangさん)がまとめられています。)
その「一行」について、氏の新たな言及がブログで行われましたので、さらに議論は白熱するか、もしくは、終息に向かうということになるのでしょうか。

ただ、私は氏が「ホテル・ルワンダ」に関連して書いた文章から感じられるある種の「匂い」が気になりました。
その「匂い」が感じられるところを、いくつか拾い出すと。

2006-01-14 「ホテル・ルワンダ」と「帰ってきたウルトラマン」(ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記さん)

ホテル・ルワンダ』を観て、「アフリカは悲惨だな。先進国が何かアフリカのためにしてやれることはないか」と思うのは、間違っている。

ところが「この映画を観たってアフリカは救えない」とかトンチンカンなことを言ってる人もいるんだよ。困ったもんだ。


2006-02-25 『ホテル・ルワンダ』なんか何の役にも立たない!  この人を見よ!(ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記さん)

僕は『ホテル・ルワンダ』を日本で公開してもらうために、いろいろ尽力してきましたが、あの映画を観た後でも、こんなことを書く人がいるのを見ると、絶望的な気持ちになります。

このような人がルワンダと同じような状況に置かれた時、虐殺を止める側に回るとは非常に考えにくいです。映画を観てもこれだから。

というか、この人は、自分がやってることは、ツチ族虐殺を煽っていたルワンダのラジオと同じなのに、まるで気づいていない。

人を差別し虐殺するのは日本人や特定の民族ではなく、まさにこの人のような人が原因なのです。

韓国や中国で反日反日と騒いでる連中は、きっとこの人と同じ種類の人間なんでしょう。


2006-03-04 「わかってもらえるさ」RCサクセション(ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記さん)

しかし、最後にたった一行書いただけで朝鮮人への憎しみがぶわーっと沸き起こる人々を見ると、「やっぱりルワンダと変わらないじゃん」と言いたくなった。

でも、僕はブログに関東大震災朝鮮人虐殺のことを書くとき、虐殺を止めようとした日本人のことばかり書いた。


そして、パンフレットの文章のこの部分。
■町山智浩氏のパンフ所収文章を全文転載します(煙さん)から引用)

ルワンダと同じような状況になったとき、あなたは隣人を守れますか?」

 日本でも関東大震災朝鮮人虐殺からまだ百年経っていないのだ。


「社会派」といわれる映画から、この種の「匂い」が感じられると、私はかなり引いてしまうのですが、映画の作り手もこの種の「匂い」をできるだけ直接的に出さないように気を付けているのじゃないかと思います。
作り手が映画を観る人々に伝えたいメッセージがあったとしても、それを高いところから押し付けるようにしては、受け手の拒否反応を招くでしょう。
逆に自分で考え、自分で気付くというかたちで、受け手に伝えた方が、そのメッセージはより受け入れやすいものとなるのではないでしょうか。
それは、普通の映画より、この種の映画の方がより慎重に行われるべきものだとも、私は思います。


あと、ここからは蛇足になりますが、2006-03-04 「わかってもらえるさ」RCサクセション(ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記さん)で、氏は自分の仕事を、「彼らの意図を彼らの言葉を使って、観客にとって身近なものに結び付けて、観客に伝えることだ」と述べています。(「彼ら」とは映画監督や俳優などの、映画制作に携わる人々の総称として使われています)
そして、パンフレットの最後の一行を、スピルバーグの映画「ミュンヘン」のラストシーンで唐突に映る世界貿易センタービルの映像になぞらえていますが、「観客にとって身近なものに結び付けて」という意味で、「関東大震災朝鮮人虐殺のこと」が現代に生きる我々日本人にとってピンとくるかどうかは、かなり個人差のあることじゃないかとも思いました。