『政治を超えた日本の歴史と伝統文化の問題である。』

2月3日付け産経新聞「主張」の中の一節です。
これは、皇室典範の改正問題に関して述べられた文章なのですが、「歴史と伝統」が「政治」を「超える」という表現が、私は少し気になりました。
なぜなら、「歴史と伝統」が「政治」を「超える」としてしまえば、現在および未来の誰一人としてこの問題について、議論する余地が無くなるように感じるからです。
まあ、言葉遊びのような問題であるようにも思われますが、どうも男系維持派と女系容認派が、どのようにしても相容れない根本原因の一つであるようにも感じます。
他の方のブログのコメント欄で、この件について、「超える」という表現は、「別の」という意味で解釈してはどうかというご指摘もいただいたのですが、それは少し意味が違うように思います。
「歴史と伝統」は、一度失われてしまえば、もう取り返しがつかないという主張は、非情に説得力のあるものだと思います。
しかし、過去の人々が命がけで守り続けてきたものには、未来永劫手を付けてはいけないとすることも、腑に落ちないところもあります。
拙速な皇室典範改正には、男系維持派も女系容認派も、その多くが反対の意向であると思いますが、私たち「現代に生きる人間」は、「現在」と「未来」そして「過去」に、どのように責任を持ち、どのような行動をとれば良いのでしょうか?