『皇位継承問題は、政治を超えた日本の歴史と伝統文化の問題である』か?

この問題を考える前に、そもそも「政治」とは何か?というところから、スタートする必要があるのかもしれません。

Yahoo!辞書の「大辞泉」によると、

1 主権者が、領土・人民を治めること。まつりごと。

2 ある社会の対立や利害を調整して社会全体を統合するとともに、社会の意思決定を行い、これを実現する作用。


と、なっています。

そして、「大辞林」によると、

1 統治者・為政者が民に施す施策。まつりごと。

2 国家およびその権力作用にかかわる人間の諸活動。広義には、諸権力・諸集団の間に生じる利害の対立などを調整・統合することにもいう。


と、なります。
まあ、「政治」とは何か?ということに深入りするのも、問題の本質からズレてしまうようにも思いますので、上記の意味を参考に考えたいと思います。

さらに、「伝統」を調べてみると、「大辞泉」では、

ある民族・社会・集団の中で、思想・風俗・習慣・様式・技術・しきたりなど、規範的なものとして古くから受け継がれてきた事柄。また、それらを受け伝えること。「歌舞伎の―を守る」「―芸能」

大辞林」では、

ある集団・社会において、歴史的に形成・蓄積され、世代をこえて受け継がれた精神的・文化的遺産や慣習。

と、なっています。
ただ、ひとくちに「伝統」と言っても、「天皇」の伝統と、その他一般の伝統を一緒に考えることは、議論の拡散に繋がるのではないかとのご指摘を、2/4付けエントリーのコメント欄にてid:drmccoy さんよりいただきましたので、ここでの「伝統」は、さらに絞って「皇位継承」の伝統ということにして、考えて行きたいと思います。

まず、男系による継承が「伝統」であるかという点については、事実として男系が維持されて来たかどうかにかかわらず、たとえ建前であったとしても(神話である部分や学説の分かれる部分がありますので)、男系が維持されて来ていると、多くの日本人が信じている以上、それが皇位継承の「伝統」であると言って差し支えないのではないかと、私は思います。

さらに、「男系維持」が皇位継承における「伝統」であるとしたときに、その「伝統」が「政治」を「超える」ものであると仮定すると、もはや、皇位継承問題について「男系維持」以外の方法を議論する必要はないかとも思われます。
その場合には、小泉総理の諮問機関のメンバーがどうであるとか、あまりに拙速に結論を出したなどという批判や、Y染色体うんぬんやら、数々の陰謀論などなど、持ち出す必要もなく、「男系維持」は日本の「伝統」であるから、政治的な理由で「伝統」を破壊することは許されないと、バッサリ切って捨てることができると思います。

ただ、私は女系を容認する立場であり、『皇位継承問題は、政治を超えた日本の歴史と伝統文化の問題である』ということに、疑問を感じている人間ですので、「男系維持」が「伝統」に則った継承の方法であるところまでは理解できるのですが、その先の、「政治を超えた問題である」という部分までは、納得できないのも事実です。

なんとなく、「天皇制」自体は政治的なものであっても、その継承ルールは政治に左右されない超越的な不文律である、みたいなニュアンスは感じ取れてはいるのですが、あくまで「女系容認派」である私の推測の域を出ません。

この「超える」というあたりを、すんなり理解できれば、私も明日から晴れて「男系維持派」の仲間入りができるのですが。(笑)
まあ、それは冗談にしても、この問題をクリアできないと、お互い違う土俵の上で、「男系維持派」と「女系容認派」の議論はいつまでも平行線をたどるでしょうし、噛み合わない議論のまま、陰謀論やら罵り合いが展開されるのではないかと思っています。