伝統を守るのは大変です

升席ガラガラ

『大相撲 人気低迷 升席ガラガラ、対策実らず』(毎日新聞)

〈前略〉
九州場所が行われている福岡国際センター。テレビの中継カメラが映し出す館内は、升席を仕切るパイプがむき出しになって痛々しい。平日は有料席(8722人収容)の半分も埋まらない日が続き、5日目の17日は3895人だった。
 観客動員の不振は今場所に限らない。レジャー・エンターテインメント分野のシンクタンク、ぴあ総合研究所の調べでは、年間6場所ある本場所の通算入場者は、若・貴ブームの1993、94年の84万7000人をピークに減り続けている。昨年は前年比2.4%減の57万5000人。同研究所の笹井裕子主任研究員が「今年は琴欧州の活躍などもあり、やや持ち直すかもしれません」とは言うものの、厳しい状況は続いている。
 00年に計70日間あった地方巡業も昨年は19日間まで減った。本場所と合わせた入場料収入は、00年の81億7000万円から04年は54億9800万円と約3分の2に落ち込んだ。
〈後略〉

モンゴル出身の横綱朝青龍の強さばかりが際立つ展開が続く日本の国技「大相撲」ですが、興行面では苦しい状況に追い込まれているようです。
原因として、日本人スター力士の不在、他のプロスポーツの台頭、若貴騒動のゴタゴタ、等々、色々挙げられるとは思いますが、実際のところ、日本の伝統芸能である「歌舞伎」などと同じで、現代人(特に若者)に広く受け入れられるコンテンツではないということだと思います。
歴史の浅い総合格闘技などのプロスポーツなどでは、人々の興味を引くような演出なり、競技方法の変更も比較的自由でしょうし、その花形選手に「日本人であること」を求められることも、「日本の国技」に比べれば格段に少ないでしょう。
そして、そういう新しい演出や、世界中から連れてこられる多種多様な個性によって、様々なドラマが作り出され、多くの人々の関心を引くことになっているのではないでしょうか。
「大相撲」には、長く続いてきた「伝統」があり、そのことが横綱をはじめとする関取たちに威厳を与え、「大相撲」を他のプロ格闘技より一段上のステージに押し上げているとは思います。
しかし、元横綱の曙が総合格闘技に挑戦して、負け続けてしまったことで、すでに「スモウ・レスラー」は、「最強」ではなく、さらに言えば、日本人関取がモンゴル相撲出身の朝青龍に圧倒され続ける姿は、朝青龍が日本の相撲界での稽古で成長、進歩したとはいっても、「大相撲」に対する神話を崩すのには充分な役割を果たしているとも思います。
今後、日本の子供達が「大相撲」の関取に憧れ、「関取になりたい」と思うようになるには、「伝統」に裏打ちされた「威厳」ではなく、もちろん、ロボコップ的な「おもしろさ」でもなく、「最強」というステータスが必要なのではないかと思ったりします。(もちろん金銭的な面も少しはあるでしょうが)
まぁ、興行的に儲かることと、伝統を守って行くことを、両立させることは非情に難しいとは思うのですが、その「非情に難しい」ということ自体が問題であるとも思います。
つまり、伝統が形作られた「過去の価値観」が、「現在の価値観」と合致しなくなって来ているということだと思うからです。
そして、「現在の価値観」と「過去の価値観」にズレが生じているときに、軽々に「現在の価値観」によって、「過去の価値観」を「古臭い」とか「時代に合わない」とするには、大多数の日本人は違和感を覚えるでしょう。
しかし、多くの人が「伝統」は守り続けたいと考えたとしても、実際、積極的に応援したり、その「伝統」を守り続けることに手を貸す人はどれくらいいるでしょうか。
日本の歌舞伎がユネスコ無形遺産に登録されたというニュースを先日目にしましたが、「大相撲」も世界的文化遺産として保護されるようになるのでしょうか。
それとも、以前のように国民の支持を集める国技としての地位を取り戻し、興行収入によってその活動を継続・発展させるのでしょうか。

私は、今が日本の「大相撲」を、世界の「大相撲」に発展させるチャンスではないか、と逆に思ったりします。
日本での興行が極度の不振であれば、世界に目を向ければ良いと思いますし、国際的な格闘技としてのルール作りを進めて行けば、日本の古い伝統であるチョンマゲを結ったスモウ・レスラーを奇異の目で見ていた異文化の人々も、「大相撲」を自分の文化の中に取り入れ、ともに楽しめる素地ができるのではないかと思います。
仮に、「大相撲」が「世界」と「現在の価値観」に大きく門戸を開いたために、逆に衰退の一途をたどり、「伝統」文化として支持してくれていた人々からもソッポを向かれてしまったとしたら、その時は、博物館の展示などの「過去の伝統」としてしか、「大相撲」は見ることができなくなってしまうでしょう。
しかし、それは「大相撲」が「世界」と「現在の価値観」からみて、つまらないものとされた結果であり、伝統を守りながら細々と「大相撲」を続けていくことは、それが現在も生き続ける「伝統」であったとしても、もはや博物館に展示される「過去の伝統」と変わりないものだと、私には思えます。


何かが続いて行くためには、それを必要だと感じる人々がいなければならないでしょうし、続けていくことだけに終始すれば、発展はなく、いつかは途絶える運命でしょう。
かつて、日本人は創意工夫によって独自の文化を創造し、尚且つ他国の文化も積極的に吸収し、進歩・発展してきました。
そして、その中で生き続けてきたものが、「伝統」となって今日まで受け継がれています。
しかし、今の日本人が「伝統」を守り続けることだけに躍起となって、新たな進歩を怠ることは、「伝統」の進歩と発展を妨げるばかりか、その継続そのもにも障害となっていると私は思います。