《画期的》小泉首相の靖国参拝に違憲判断!《高裁初》

昨日(9月30日)の大阪高裁で出された「首相の靖国神社参拝は違憲」という大谷正治裁判長の判断が、今日の各新聞社朝刊の紙面で大々的に取り上げられ、中には「違憲判決」が出たかのように読者に誤認させてしまうような記事まで踊っています。
しかし、実態は小泉総理らに損害賠償を求めた原告側の請求を退ける判決で、「首相の参拝は違憲であるから今後の参拝行為は差し止めるべき」との判決が下ったものではありません。
さらに言えば、一日前の9月29日には東京高裁でまったく逆の判断が示されていますから、東京と大阪の高裁で首相の靖国参拝を巡る判断が分かれたと言うべきでしょう。(参考「司法判断まっぷたつ 首相の靖国参拝」(朝日新聞)
ただ、両方の裁判とも原告側の請求が退けられた点は一致しており、原告側が上告しないかぎり首相の靖国参拝に対する損害賠償は認められないと確定します。
もし仮に、大阪高裁の違憲判断をもって原告側実質的勝利とし、原告側が上告を行わないのであれば、それは今回の違憲判断を政治的に利用できればそれで良いという態度だと私は思います。
なぜなら、あくまで損害賠償を求めるのが原告側の趣旨であれば当然上告すべきでしょうし、「首相の靖国神社参拝は違憲」であるという司法的な判断を求めるのが趣旨であったら最高裁判所の最終的な判断を仰ぐべきものだと思うからです。
さらに、小泉総理の{{靖国神社}}参拝を阻止するのがその趣旨であったとしても、今回の大阪高裁の違憲判断だけで小泉総理が参拝を取り止めるとも思えず、小泉総理に参拝取り止めを促すつもりなら、最高裁での違憲判断を目指すべきだとも思います。
今回の大阪高裁の画期的違憲判断を利用して、「小泉総理の靖国参拝違憲である!」と主張することは、東京高裁の判断とは異なっていることから考えても、一方的な主張であると言わざるを得ないと思います。

私自身、首相の参拝に「公的」や「私的」の区分けをすることに無理はないかということや、「慰霊」と言う行為から宗教的な色彩を排除できるかということ、そして、日本の社会的・文化的な諸条件も考慮すべきではないかということ、などなど、この問題についてははっきりとした結論に到っていません。
そういう意味からも、最高裁の判断は見てみたい気がします。