『渡辺謙、イーストウッド監督作に主演 ハリウッド進出第4弾』(スポーツ報知)

クリント・イーストウッド監督(75)が第2次大戦硫黄島の戦いを描く2部作で、日本側の視点から作る映画「硫黄島からの手紙」(12月公開)に俳優の渡辺謙(46)が主演することが8日、発表された。
(中略)
 日本人キャストによる日本語のハリウッド映画の詳細が明らかになった。同作はイーストウッド監督が硫黄島の決戦を日米双方の視点から描く2部作のひとつ。米国側から見た「父親たちの星条旗」(今秋公開)がこのほどクランクアップ。当初“日本版”は日本人監督を起用する予定だったが、「父親―」で手応えをつかんだオスカー監督が自らメガホンを執ることに。両作ともスティーブン・スピルバーグが製作する。
(中略)
 監督の意向で真っ先に主演に決まったのは渡辺謙。「ラスト サムライ」「バットマン ビギンズ」「SAYURI」に続くハリウッド進出第4弾となる。昨秋に出演が決まると、日本代表として監督と意見を交換してきた。
 すぐに決着がつくはずの戦いを意外な戦略で40日近い歴史的な死闘に変えた栗林忠道中将役。「監督からお話をいただき、これは大変なことになったと感じました。今まで日本でもなかなか着手できなかった戦争の話です。日本人でも知らなかったことがたくさんあったのです」とコメント。「亡くなられた多くの英霊たちの声なき声に耳を澄ませ、真摯(しんし)な目を持って役を生き抜いてこようと思っています」と意気込んでいる。
(後略)

主演に抜擢された渡辺謙さんのコメントを読むと、俳優としての「演技」を超えた何ものかを表現してもらえるんじゃないかと期待してしまいます。

そして、クリント・イーストウッド監督が日米両国の視点で、2つの映画を作る事に関しては、一方に偏った善悪の判断を歴史的な出来事に対して押し付けないという意味だけでなく、その「歴史的な殺し合い」は、両国にとってどのような「意味」があったのか、それともなかったのか、そのあたりまで踏み込んで考えるための手助けとなるような気がします。(私の勝手な願望を含んだ観測ですが・・・)

渡辺謙さんが演じる「栗林忠道中将」と硫黄島での戦闘について、『人物探訪:栗林忠道中将〜精根を込め戦ひし人』(国際派日本人養成講座)から、引用させてもらいます。

死闘を演じた日本軍の指揮官は、栗林忠道陸軍中将であった。
中将は戦闘前に、家族に以下のような手紙を書いている。

 島の将兵○○(JOG注:機密を守るための伏せ字、「2
万」か?)は皆覚悟を決め、浮ついた笑い一つありません。
悲愴決死其のものです。私も勿論そうですが、矢張り人間
の弱点か、あきらめきれない点もあります。・・・・・

 殊に又、妻のお前にはまだ余りよい目をさせず、苦労ば
かりさせ、これから先と云ふ所で此の運命になったので、
返すがえす残念に思ひます。

 私は今はもう生きて居る一日一日が楽しみで、今日会っ
て明日ない命である事を覚悟してゐますが、せめてお前達
だけでも末長く幸福に暮らさせたい念願で一杯です・・・・

 私も米国のためにこんなところで一生涯の幕を閉じるの
は残念ですが、一刻も長くここを守り、東京が少しでも長
く空襲を受けないやうに祈っています。

「一刻も長くここを守り、東京が少しでも長く空襲を受けない
やう」という一節に、栗林中将の明確な狙いが見てとれる。死
に急ぐのはかえってたやすい。2万の兵に玉砕を覚悟させなが
らも、「一刻でも長くここを守る」ために、長く苦しい戦いを
いかに続けるか、そこに中将の苦心があった。

米軍は当初硫黄島を5日間で占領する計画であったそうですが、2万人余りの日本軍は36日間も持ちこたえ、 大半が戦死したものの、総数7万5千人の米軍にも死傷者2万6千人という大損害を与えたそうです。
日本兵は物資や食料の乏しい中、雨水をすすりながら地下に塹壕を掘り、ただ「殺し」、そして「死ぬ」ためだけに、『精魂を込めて生きました』。


そして同時に、アメリカ兵も尊い命を懸けて戦い、多くの犠牲を払いながら硫黄島星条旗を打ち立てたのです。

昭和60(1985)年2月19日に硫黄島で行われた「名誉の再
会」式典に参加した当時高校2年生のマイケル・ジャコビー君
は次のような手紙をレーガン大統領に送った。この手紙は国際
ロータリークラブが行った「平和への手紙」コンテストに全世
界から応募された4万5千点から最終的に選ばれたものである。

 しかし、あの時あの場で次に何が起こったかを大統領御
自身に見ていただきたかったと思います。日本軍兵士の未
亡人や娘とアメリカ軍兵士の妻や子供たちが、たがいに近
寄ったかと思うと抱きしめあい、身につけていたスカーフ
や宝石などに思いのたけを託して交換しはじめたのです。
男たちも近づいてきて、最初はためらいがちに握手しまし
たが、やがて抱き合うや声をはなって泣き出しました。
・・・・

 ふと気がつくと、誰かが私の頭に帽子をのせてくれまし
た。かつての日本軍人です。笑顔を見せて自己紹介し、そ
の日本軍の作業帽を私にくれると言いました。私の祖父も
近づいて話しはじめました・・・・

 私には余人には知り得ぬなにかがわかったような気がし
ました。昨日の敵が今日の友となり得ることを、祖父や祖
父と手を握りしめている旧日本軍兵士によって、全世界の
人々に示してもらいたい、とさえ思いました。
『人物探訪:栗林忠道中将〜精根を込め戦ひし人』(国際派日本人養成講座)より引用)