『君が代問題:式典での個々人の態度「憲法保障の精神的自由」 大学教員が声明 /広島』(毎日新聞)

◇「処分やめよ」県教委に申し入れ−−21人が共同で
 「式典で日の丸・君が代に個々人がどのような態度を取るかは憲法が保障する精神的自由の範ちゅうに入る」などとした共同声明を県内の大学教員計21人が28日発表し、教育現場での日の丸・君が代強制の中止と、従わない教職員への処分を行わないよう県教委に申し入れた。【吉川雄策】
 共同声明は、「精神的自由にかかわる問題を職務として服従義務があるかのように命じることは重大な憲法違反」と厳しく県教委を批判している。
 広島大の14人と広島修道大の5人、広島市立大の1人に加え、浅井基文・広島平和研究所長の連名。声明文は「県教委は、なぜ卒業式、入学式等で日の丸・君が代を教師や生徒に強制するのか」と問いかけたうえで、その違憲性とともに、強制が教育に深刻な悪影響を及ぼすと指摘している。
 申し入れに対し、岡田圭史・県教委総務課長は「趣旨はわかりました。関靖直・教育長など上司に伝えます」と述べた。
 申し入れ終了後、吉田修・広島大教授らは会見を開き、「卒業式で答辞を読む子どもたちに対し、理由を示さず日の丸におじぎするよう指導する学校もあるようだが、形から入ろうとするのはナチスの行進と同じ。一人一人が自分の行動の意味を考えさせるのが本来の教育のはずだ」と述べた。
3月29日朝刊

「精神的自由にかかわる問題について、教育現場で強制されることは問題である」なんていうことを、実際に教育現場に立っている人が言い出すなんて、とても不思議ですね。
そんなこと言ってて、実際に教育なんてできるのでしょうか?
「精神的自由にかかわる問題」なんて言い出したらキリがないと思いますよ。
学校指定の制服を着ること、身長の順番に並ぶこと、足並みを揃えて行進すること(ナチスのように?)、家で宿題をすること、名前を呼ばれたら返事をすること、etc
生徒がみんな、やりたいようにやり出しても、先生が何も強制できないなんて、おかしいでしょう。普通に。
さらに、先生まで生徒と一緒になって、やりたいようにやり出しても、私たち国民は「精神的自由を尊重しないといけませんね」などと言いながら、指をくわえて見ていなければならないなんて、おかしいでしょう。やっぱり。
特に義務教育は、私たち(主権者たる国民)が、子供達に思想教育をも含めた日本国民として身に付けるべき教育全般を施すものであり、教職員は個人の思想信条がどうであるかに関係なく、その職責を全うする事が国民の負託に応えることでしょう。
国旗に敬意を表すことや、国歌を斉唱することは、教育の一環として学校行事の中に取り入れられていることであり、それは多くの国民の意思に基ずくものです。
思想信条に従ってそれに反対するのなら、それは教育の現場で行うのではなく、プライベートな時間に個人の政治的な活動として行うべきでしょう。
どうしても教育の現場でやりたいというのなら、私塾なりなんなりを作って行うべきで、公の学校で指導者という立場の者が勝手な行動をとることは、子供達に自分の個人的な考えを押し付けているのと同じではないでしょうか?
そして、教育現場を離れて、国旗(日の丸、日章旗)、国歌(君が代)についてや、今の教育のあり方について議論することは大いに賛成ですが、生徒と向き合うべき教育現場で、教師が個人の思想信条を基に、国民の総意と相反することを生徒に吹き込むことは許されるべきではないでしょう。
国旗に対して軍国主義の影を見たり、国歌の歌詞を天皇制の存続を願うものであると考えるのは個人の自由であっても、国旗や国歌が表すものは我々の国家そのものであり、その国家に帰属していることによって受ける様々な恩恵や、国民としての義務を果たすことの意義を、生徒に認識させることが教師のするべきことでしょう。

「県教委は、なぜ卒業式、入学式等で日の丸・君が代を教師や生徒に強制するのか」という問に関しては、それは日の丸が我々の国旗であり、君が代が我々の国歌であるから、としか答えられないでしょう。
そして、卒業式、入学式などのような通過儀礼的な学校行事で、国家と国民の繋がりを意識させるために、国旗掲揚や国家斉唱を行うことに問題があるのでしょうか?
教育現場で生徒たちに日本国民であることの自覚を持たせることは、当然行われるべきではないのでしょうか?
私たち国民も国家から義務や強制をたくさん受けていますが、それは私たち自身が与えているものであり、決して私たち以外の何者かによって与えられているものだとは解釈すべきではないでしょう。
自分はたまたま日本に生まれただけで、国が勝手に決めたことに従う必要はない、というような考えは間違いであると、学校では教育するべきではないでしょうか?
私たち日本国民は、国旗に対して敬意を表すべきで、国歌斉唱の時には心を込めて歌うべきで、祖国を守るときには武器を手にして戦うべきでしょう。