『開戦の日 真珠湾だけではない』(朝日新聞 社説)

真珠湾攻撃

真珠湾攻撃の印象があまりにも強烈だからだろう。太平洋戦争は64年前の今日、ハワイの真珠湾で口火が切られた、と思われている。
 しかし、実際に戦端が開かれたのはこの奇襲の1時間ほど前、英領のマレー半島に日本軍が上陸した時だ。
 米国の禁輸で石油調達の道を断たれた日本は、オランダ領インドネシアにある油田の確保を狙った。そこに至るための軍事行動であり、兵力では真珠湾攻撃をしのぐ大規模な作戦だった。
 戦火は太平洋の全域に広がり、インド洋にも及んだ。緒戦こそ勝利にわいたが、やがて日本は破局への道を転がり落ちていった。
 生きて帰ることを許されなかった特攻隊員。沖縄の地上戦に倒れ、広島や長崎の原爆で命を奪われた人々……。日中戦争以来の日本の犠牲者は、軍民合わせて約300万人とされる。
 むろん、日本だけではない。戦火にさらされたアジアの各地に深い傷跡を残した。中国の犠牲者は、日本人研究者の推計でも1千万人を上回る
 米国領だったフィリピンでは日本軍が占領した後、米軍が反撃に転じた。激しい地上戦が繰り広げられ、約100万人のフィリピン人が命を落とした
 朝鮮半島インドネシアベトナムなどでも多くの犠牲者が出た。その一人ひとりに嘆き悲しむ肉親がいたことに、思いを馳(は)せずにはいられない。
 「あの戦争のおかげでアジアの人々は植民地支配から脱したのだ」と、いまだに主張する人たちがいる。
 戦争の初期にフィリピンやインドネシアなどで、一部に日本軍を「解放軍」として歓迎する動きがあったことは事実である。戦争が独立を早める結果をもたらした地域もある。
 だが、現在は親日的とされるインドネシアですら、高校生向けの歴史教科書は「わが国を占領したことのある国の中で、日本はもっとも残酷だった」と記す。それが実態だった
 都合のいい部分にだけ光を当てて戦争を正当化するような言動は、アジアの心ある人々を遠ざけるだけだろう
 時はめぐり、いま東アジアに共同体を作る構想が持ち上がっている。そのパートナーはみな、あの戦争の苦しみを味わった隣人たちである。
 シンガポールリー・クアンユー元首相は開戦時、18歳の大学生だった。回顧録日本経済新聞社)で日本についてこう書いている。
 「占領時代のつらい体験を持ち、日本人の特質に潜む恐ろしい一面を知りながら、それでもいま私は日本人を立派だと思う。日本人の持つ集団の結束力や規律正しさ、知性、勤勉さ。それらすべてが日本の力のもとになっている」
 こうした思いに応えるためにも、歴史を正面から見つめ、過ちは過ちとして率直に認めなければならない。その基盤に立って共に未来を築きたい。


日本による真珠湾攻撃は、64年前の今日、1941年12月8日に行われました。
上の社説では、真珠湾攻撃の1時間ほど前に、英領のマレー半島に日本軍が上陸した時を本当の開戦時期だとしています。
まあ、多少の時間差はあれども、真珠湾攻撃マレー半島沖海戦は同時に行われたとみて良いのでは、と思います。
そして、この2つの攻撃により、太平洋戦争が開始されました。
この攻撃に、日本からの宣戦布告が間に合わなかったこと、米国や英国も日本が開戦に踏み切ることを待ち望んでいたこと、さらに暗号解読により事前に攻撃が米国側に察知されていたこと、等については、ウィキペディア(Wikipedia)のこちらのページをご参照ください。
私はここで、日本側の責任はないとするような主張をするつもりはまったくありません。
しかし、戦争行為ににおいて「戦争責任」というものがあるとすれば、それは、勝った側にも、負けた側にも、両方に存在するのではないかと思うのです。
上の記事でも、太平洋戦争に先立つ日中戦争を含めて、日本、中国、フィリピン、朝鮮半島インドネシアベトナム、などで多くの犠牲者が出たことが書かれています。
そして、記事中には有りませんが、米国や英国にも多数の犠牲者はあったでしょう。
ただ、そのすべてが日本の攻撃によるものでないことは明らかで、お互いの戦闘行為の中で死傷者が出、戦闘の舞台となったアジア地域を中心に、大きな被害をもたらしたということでしょう。
そして、そもそも、どうして日本と米英との戦闘の舞台が、アジア地域となったかについては、欧米列強によるアジア地域の長年に渡る「植民地支配」と、当時の欧米列強と同様、帝国主義をとっていた日本が、資源を求めてアジア地域に進出したという構図があるでしょう。
朝日新聞がいうように、「あの戦争のおかげでアジアの人々は植民地支配から脱したのだ」と主張することが間違っているとしても、「太平洋戦争は帝国主義国同士の植民地の奪い合いだった」とは言えるのではないかと思いますし、現在の価値観で当時の日本の行動を反省せよと言うならば、日本だけでなく米英にも「正義」などなかったのは明らかでしょう。
朝日新聞が主張するように、「歴史を正面から見つめ、過ちは過ちとして率直に認めなければならない。その基盤に立って共に未来を築きたい。」とするならば、過ちを素直に認めるべき国は、日本以外にも多数あるでしょうし、その過ちを認識せず、行動を未だに改めない国は、戦勝国の中にこそあるとも思います。
さらに、「他山の石とする」という言葉がありますが、過ちを犯した者だけが歴史から学ぶのではなく、被害者であった国々も同様に過去の歴史から学ぶのでなければ、過去の被害者が新たな加害者となることも考えられます。
そして、戦勝国側が敗戦国にだけ反省を迫る構図は、戦勝国同士の中で、新たな覇権争いを生み、米ソの冷戦から、今日の中国の台頭にまで繋がっていると思います。
先の大戦において、日本人やナチス・ドイツの残虐性にのみスポットライトを当てて、欧米列強の数百年に渡る植民地支配にフタをすることは、新たな悲劇を生む基でしょうし、実際に悲劇は繰り返されています。
米国が太平洋戦争に自国の「正義」を見出すとき、日本人による宣戦布告なき真珠湾攻撃を持ち出すのは、日本を「悪」とする格好の材料だからでしょう。
そして、卑怯で残虐な日本人を作り出すことで、原爆投下という野蛮な犯罪行為まで、覆い隠してしまっているのが現実だと思います。